Another Blue ~もう1つのブルー

俺たちが生きて行くために、今 愛が必要なんだ

1970年代への憧れ

1970年と名のつく写真集を相次いで2冊手にする機会があった。 

1冊目は北井一夫さんの「1970年代NIPPON」という写真集。 
もう1冊はハービー・山口さんの「1970年、二十歳の憧憬」という写真集だhttp://img.mixi.net/img/emoji/83.gif 

北井さんの写真集は主に田舎の農村や温泉などで撮られたもの、ハービーさんの写真は子供たちや学生運動を撮ったものが多く掲載されている。 

日本写真界の巨匠といわれる木村 伊兵衛や土門 拳さんの写真も確かに素晴らしいのだが、自分の生まれる以前の日本の情景が多く、今ひとつ自分自身とシンクロ(同調)しないhttp://img.mixi.net/img/emoji/208.gif 

その点1970年代というのは、まさに自分自身の幼年期~少年期に重なる。 

自分の生まれた1965(昭和40)年は、東京オリンピックの翌年にあたり、日本が最も勢いづいていた高度成長期の過程で、第二次高度経済成長期(輸出・財政主導型)といわれる時期に相当する。公共投資が進み、さらに日本企業が外国に打って出た時代だっただろう。 

まだ子供だった自分にとっては、経済成長の明確な実感などはあるはずもないが、http://img.mixi.net/img/emoji/33.gifカラーテレビやhttp://img.mixi.net/img/emoji/9.gifクルマが普及しはじめたり、にわかに世の中が変わりつつあることを物理的に示すものが多くあったように思う。 

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北井さんの写真に写されている農村風景は、まさに自分の幼年期と照らし合わせたものが多く、古い家の土間や障子、どこまでも続く未舗装の道が懐かしく感じられた。 

祖父の生きている頃は、収穫期に親戚が総出で稲刈りを行ったり、正月ともなれば叔父や従弟たちと一緒にトランプや花札遊びをしたことが、今でも懐かしく思い出される。 


ハービーさんの写真では、子供たちが多く掲載されているが、屈託のない笑顔や連帯感を感じさせる写真が、当時の平和な暮らしぶりを象徴している。 

もっとも当時だってイジメ問題はあったけれど、近所で遊ぶとき、少し年上の子が年下の子供たちの面倒を見るというのは当たり前の世の中だったように思う。 

ハービーさんが、この写真集の文中で「この頃、写真はもっと自由に撮れた。人を信じるこころ、人を大切にするこころが今よりも強かったのではないだろうか。」と述べている。 

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撮影:OLYMPUS PEN E-P3(上記2枚)


確かに激動する時代が、人のこころまでも飲み込んでしまったのだろうhttp://img.mixi.net/img/emoji/75.gif 

バブル入社組とか、新人類(昭和40年以降に生まれた世代)と、もてはやされた自分たちは、殆ど苦労することなく職に有り付けたが、瞬く間にバブルが崩壊し、日本は殺伐とした時代に突入して行くhttp://img.mixi.net/img/emoji/57.gif 

自分の住む青森では、それまで殺人事件なんてテレビの中の出来事だと思っていたけれど、にわかに周辺が騒がしくなって来た。 

物理的な部分においては、お金さえあれば何不自由なく暮らせる便利な時代になったけれど、それと引き換えに、我々が失ってしまったことがあまりにも大きかったのではないだろうか? 


3.11の大震災において、私たち日本人は、改めて多くのことを考え直す機会に遭遇したように思う。 

しかしながら出された答えは、必ずしも失われた人々のこころを取り戻すという選択肢ではなかったように思うhttp://img.mixi.net/img/emoji/53.gif 

先日の衆院選投票率は、戦後最低という結果になった。 

その結果が示すものは、自分たちの置かれている現状に対する絶望感だったり、先行きの見えない未来に対する不安だったのではないだろうか? 

「日本を取り戻す!」といった自民党だが、本当に取り戻すべきものは政権ではなく、人々のこころであってほしいと願っている。 

「あの頃は良かったな~」という郷愁だけで終わらせてはいけない・・・混迷する日本に、今こそ光をhttp://img.mixi.net/img/emoji/66.gif 

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撮影:RICOH CX2