本の初めの部分に『詩的な写真を撮る行為とは、そういう日常から少し距離を置くこと。』とある。
俺は子供の頃から、そんな非日常に憧れを強く持っていて、人一倍妄想も強かったと思う。
例えば中学から書き始めた詩は、恋に恋する乙女のような恋心だったり、天から神が自分の指先に降臨する瞬間だったり、時には恋人が自分の腕の中で悶絶するエロスだったりもする。
http://www.geocities.jp/denimroad/poems.html
高校から始めた陸上競技では、病弱な少年(自分)がいつか栄光のゴールテープを切り、ヒーローになる瞬間を夢見て、来る日も来る日もトレーニングに明け暮れる毎日を過ごした。
http://www.geocities.jp/denimroad/running.html
また、いつかファッション雑誌に載ることを夢見て、夢中になって「ポパイ」や「ホッドドックプレス」を読み漁り、ついには自分のオリジナル・ジーンズまで作ってしまった。
http://www.geocities.jp/denimroad/country.html
考えてみたら俺は夢と現実の狭間に身を置いて、ずっと生きてきたような気がする。
そんな意味では写真も日常的な風景や記録写真ではなく、どこか日常を人とは違った角度から写してみたいという願望にかられていたのだ。
この年になって写真に目覚めたというよりも、以前から非日常的な写真を撮ってみたいという想いはあったのだけれど、自分には到底ムリだろうという諦め感もあった。
しかし、最近になって堰を切ったようにカメラを集めだし、写真を撮り始めた。
デジタルカメラではなく、今になってフィルムカメラに気持ちが傾くのは、ありきたりなデザインのデジカメではなく、突拍子のないデザインのフィルムカメラ(特にハーフサイズ)が非日常への想いを加速的に駆り立てている証拠だともいえる。
いずれにせよ、どれくらい自分の撮った写真が、非日常的な描写に近づいているのかは分からない!?
むしろ見てくれた皆さんが、俺の写真に何を感じてくれているのかが気になるけれど・・・