というより周りの景色を見る余裕は、どれくらいあっただろうか?
23歳で結婚し、翌年には長女が生まれ、バブル全盛期入社組の自分にとって、陸上と仕事(営業)、子育てという目まぐるしい毎日の中で、20代はあっという間に過ぎていった。
足の裏は【第二の心臓】というけれど、足の裏で踏みしめる落ち葉に哀愁を感じたりhttp://img.mixi.net/img/emoji/234.gif
キュキュっと鳴る雪で遠い春に思いを馳せてみたりhttp://img.mixi.net/img/emoji/4.gif
雪解けの久しぶりに踏む土の感触に心を躍らせることはあったけれど、
時速20Km弱で疾走する中で目に飛び込んでくる景色には限りがあった。
20代後半に椎間板ヘルニアを患い、ランナーの夢は潰えたけれど、それでも足の痛みを押して、30代の半ばまでは走り続けていた。
きっと、周りなど何も見えてはいなかったはずなのに・・・
撮影:BELL&HOWELL Dial 35-2
お散歩写真を始めて、2年とちょっとが経ったけれど、それから見え始めてきたものが、たくさんあったように思う。
藤田一咲さんの著書『八ッセルブラッドの時間』を久々に読み返してみると、一咲さんの祖父が、「下駄で歩く速度が、散歩にはちょうどいい」という一節が出てくる。
一咲さんの祖父もやはり、八ッセルブラッドを持って日々、お散歩写真を撮っていたのだそうだ。
今は金銭的にハッセルブラッドは無理だけれど、ハーフサイズのフィルムカメラを片手に写真を撮っていると、失われた時間を取り戻したような気持ちになる。
被写体ごとにiPhoneの「露出計アプリ」で露出を計っているから、当然のように歩きもスローになる。
自分がノスタルジックな写真に憧れる理由は、せっかちだった若い頃には見えていなかった、ゆっくりと流れる時間を取り戻す意味もあるのかもしれない!?
お散歩写真を始めて、2年とちょっとが経ったけれど、それから見え始めてきたものが、たくさんあったように思う。
藤田一咲さんの著書『八ッセルブラッドの時間』を久々に読み返してみると、一咲さんの祖父が、「下駄で歩く速度が、散歩にはちょうどいい」という一節が出てくる。
一咲さんの祖父もやはり、八ッセルブラッドを持って日々、お散歩写真を撮っていたのだそうだ。
今は金銭的にハッセルブラッドは無理だけれど、ハーフサイズのフィルムカメラを片手に写真を撮っていると、失われた時間を取り戻したような気持ちになる。
被写体ごとにiPhoneの「露出計アプリ」で露出を計っているから、当然のように歩きもスローになる。
自分がノスタルジックな写真に憧れる理由は、せっかちだった若い頃には見えていなかった、ゆっくりと流れる時間を取り戻す意味もあるのかもしれない!?
撮影:OLYMPUS PEN F